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現在の彦根城

[2017年1月25日]

国宝 彦根城天守附櫓および多聞櫓(ひこねじょうてんしゅつけやぐらおよびたもんやぐら)

 (昭和27年3月29日指定)

天守閣

 天守は、三重三階で、慶長11~12年(1606~07)頃に完成しています。構造は、通柱を用いないで各階毎に積み上げる方式をとり、高欄をつけた望楼を櫓に乗せる古い形式です。屋根は切妻破風、入母屋破風、唐破風を多彩に組み合わせて変化に富んでいます。また、花頭窓を最上階だけでなく二階にもつけた天守は、ほかに見られないものです。
 現在の天守は、昭和35年の解体修理の調査によって、旧天守の部材が認められ、大津城から移築されたものであると推測されています。

重要文化財 彦根城太鼓門櫓および続櫓(ひこねじょうたいこもんやぐらおよびつづきやぐら)

 (昭和26年9月22日指定)

太鼓門櫓

 太鼓門は、本丸表門を固める櫓門で、天守を目前にした最後の城門です。櫓門の南側には続櫓が連なっています。この続櫓の東壁面が開放され、柱間に高欄をつけて一間通りを廊下としています。城門の背面を開放することは非常にめずらしく、「太鼓門櫓」の名前のとおり櫓内に太鼓があり城内に太鼓の音を響かせるための工夫だとする説もありますが、定かではありません。

重要文化財 彦根城西の丸三重櫓および続櫓(ひこねじょうにしのまるさんじゅうやぐらおよびつづきやぐら)

 (昭和26年9月22日指定)

西の丸三重櫓

 西の丸三重櫓は、本丸に隣接する西の丸の西北隅に位置し、西に張り出した出郭との間にある堀切に面して建っています。この三重櫓は嘉永6年(1853)に大幅な改修が行なわれており、当初の姿は異なっていたと考えられます。

重要文化財 彦根城二の丸佐和口多聞櫓(ひこねじょうにのまるさわぐちたもんやぐら)

 (昭和26年9月22日指定)

佐和口多聞櫓

 二の丸には四つの城門、京橋口・佐和口・船町口・長橋口がありました。その中でも佐和口は、表門に通じる彦根城にとって主要な城門のひとつでした。本来、佐和口では、枡形をかこむように正面には高麗門が置かれ、右手に二重二階の櫓門を設けていました。今に残る多聞櫓の北端が切妻屋根で終わっているのは、ここにあった二重二階の櫓門を明治初年に撤去した名残りです。

重要文化財 彦根城天秤櫓(ひこねじょうてんびんやぐら)

 (昭和26年9月22日指定)

天秤櫓

 天秤櫓は、堀切に面して建てられ、鐘の丸とは廊下橋で結ばれています。この堀切は表の備えで、大手門や表門から鐘の丸にいたる道になっており、橋と櫓門によって本丸が独立して防御できるようになっています。櫓の両側には、その名前が示すように二重の隅櫓を設け、正面から見ればあたかも天秤のように見えます。

重要文化財 彦根城馬屋(ひこねじょううまや)

 (昭和38年7月1日指定)

馬屋

 佐和口多聞櫓の奥には、藩主の馬を常備した馬屋が残っています。この馬屋は、全国の近世城郭内に残る大規模な馬屋としてほかに見られないものです。建物内には、21もの馬立場・馬繋場が設けられ、東端には馬を管理する小部屋が付けられています。

名勝 玄宮楽々園(げんきゅうらくらくえん)

 (昭和26年6月9日指定)

玄宮園

 彦根藩第4代藩主・井伊直興が廷宝5年(1677)に造営を始めた彦根藩下屋敷槻〔けやき〕御殿です。広大な庭園からなる玄宮園と建物部分の楽々園で構成されています。玄宮園は、中国の瀟湘八景あるいは近江八景をまねたといわれる回遊式庭園です。池に臨んで、臨池閣や鳳翔台などの建物がもうけられています。

楽々園

 楽々園は、「玄関」「御書院」「地震の間」「楽々の間」などの建物で構成されています。「地震の間」は耐震構造の茶室、「楽々の間」は楽々園の名の由来ともなった数寄屋建築です。11代藩主井伊直中の退隠時には現在の10倍近い建物が材立していました。

埋木舎(うもれぎのや) (特別史跡彦根城内)

埋木舎

 「埋木舎」は、のちに13代藩主となる井伊直弼が17歳から32歳までの16年間を過ごした屋敷です。直弼は第11代藩主・井伊直中の14男として生まれましたが、17歳で父親が死去するとともに槻御殿(玄宮楽々園)からここに移されました。直弼は屋敷を「埋木舎」と名づけました。

 「世の中をよそに見つつもうもれ木の 埋もれておらむ心なき身は」

 直弼は一生を埋木舎で朽ち果てることを覚悟しましたが、失意のうちにも「なすべき業〔わざ〕」を見い出し、それに全力を傾けました。「なすべき業」として直弼が学んだのは禅、武術、能・狂言、国学・和歌、焼物そして茶の湯などでした。彼がこの時代に学び培〔つちか〕った精神が、のちに政治家直弼として大きく花開くことになります。

市指定文化財 旧西郷屋敷長屋門(きゅうさいごうやしきながやもん)

 (昭和48年4月28日指定)

旧西郷屋敷長屋門

 現在この長屋門が建っているところは、天保7年(1836)の「彦根御城下惣絵図」によれば、老中・西郷伊豫の屋敷にあたります。この長屋門は、寛保2年(1742)に西隣の庵原家で建てられたものを、明治16年(1883)に裁判所が整備されることに伴い現在の場所に移されたと考えられます。
 市内に残る長屋門の中で、もっとも大きいものです。

市指定文化財 旧池田屋敷長屋門(きゅういけだやしきながやもん)

 (昭和48年4月28日指定)

旧池田屋敷長屋門

 天保7年(1836)の「彦根御城下惣絵図」によれば、池田斧介の屋敷にあたります。
 建物の向かって左手は道路をはさんで中堀に面しています。近くには井伊直弼が青年期を過ごした埋木舎もあり、これら掘沿いの白壁の連なりは往時の武家屋敷界隈の姿をしのぶことができます。

市指定文化財 旧鈴木屋敷長屋門(きゅうすずきやしきながやもん)

 (昭和48年4月28日指定)

旧鈴木屋敷長屋門

 天保7年(1836)の「彦根御城下惣絵図」によれば、鈴木権十郎の屋敷にあたります。
 正面より右に偏して門を設け、左には小部屋を連ねています。上半を白漆喰壁、腰より下を下見板張りとし、要所に格子窓を設けます。棟束に文久2年(1862)の墨書があり、幕末期の彦根藩中級武家屋敷の典型をなす長屋門です。

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