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楽々園の古い写真を探しています

[2015年3月21日]

楽々園の古い写真を探しています

 楽々園の歴史的な建物や庭園の保存整備を実施するにあたり、明治、大正、昭和30年代ころまでの楽々園に関する古い写真などを広く募集し、歴史や修理の資料として役立てたいと考えていますので、ご協力をお願いいたします。

募集する資料

 明治、大正、昭和30年代ころまでに撮影された楽々園に関する写真で現像されたもの

 その他に絵図や図面などがございましたら、ぜひご連絡ください。

 

資料をお持ちの方は

 文化財課にご連絡ください。お話を伺ったあとに、郵送していただくか、所有者宅へ資料をお借りに伺います。写真はスキャンした後に返却させていただきます。

 

楽々園とは

 楽々園は、彦根城天守の北側にあり、4代当主井伊直興により延宝5年(1677)から2年を要して造営された彦根藩の下屋敷です。11代直中の隠居に際して大規模な増改築が行われ、全盛期を迎えましたが、その後は縮小傾向に転じ、現在に至っています。

 建物は、「御書院」、「地震の間」、「雷の間」、「楽々の間」などの建物で構成され、「御書院」の奥は渓谷の風情をなしており、「地震の間」、「雷の間」、「楽々の間」へと連なっています。「地震の間」は耐震構造の建物でもあるため今日そう呼ばれていますが、本来は茶の湯に用いられた「茶座敷」でした。「楽々の間」も「地震の間」と同じように数寄屋建築で、12代直亮により増築されたもので、「楽々園」の名の由来ともなった建物です。ただ「楽々園」と呼ばれるようになるのは明治時代以降のことで江戸時代には、「槻御殿」や「黒御門外御屋敷」などと呼ばれていました。また、明治14年から平成6年までは民間業者により「旅館楽々園」として旅館営業がなされていました。昭和22年に、隣接する玄宮園とともに井伊家より市が取得し、その後旅館の廃業により市に返還され今日に至っています。

 また、昭和26年には、玄宮園とあわせ、玄宮楽々園として国の名勝に指定されています。 

 建物の老朽化に伴い、平成17年度から建物の保存修理を始め、現在は、地震の間の保存修理を行なっています。これからも引き続き他の建物、庭園の保存修理、整備を進めていく予定です。

連絡先

彦根市教育委員会事務局

文化財部文化財課

電話番号:0749-26-5833

ファックス:0749-26-5899

Email:bunkazai@mx.hikone.ed.jp

その他

 展示パネル、刊行物等に資料を掲載させていただく場合がございますのでご了承いただきますようお願いいたします。

楽々園の古写真

楽々園、琵琶湖を望む
楽々園地震の間
楽々の間

現在の楽々園の配置図

現在の楽々園の配置図

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