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芹川の洪水に関する資料館

芹川の洪水の歴史年表写真で見る芹川の洪水の歴史芹川が付替えられた歴史明治29年の彦根水害の図
集中豪雨に芹川はどのくらいまで耐えられるか?芹川では万一に備えた治水対策が必要です
芹谷ダムに関して

■芹川の洪水の歴史年表
※邦暦年月日の下線の部分をクリックすると当時の被害状況が見られます。

邦暦年月日
西暦年月日
事項
出典資料
延宝4年7月4日
1676年8月13日
洪水.彦根城下の西ヶ原あたりでは船で往来する.
彦根市史稿
元文元年8月17日
1736年9月21日
洪水.彦根城下、浸水5尺8寸、四十九町まで船にて往来す.北野寺前まで水1丈余.
彦根市史稿
元文2年5〜6月
1737年
大雨.5尺8寸の水・四十九町迄舟・北野寺前一尺水有
後三條今昔ものがたり
元文3年6月1日
1738年7月17日
5月7日より6月3日まで降雨続き、彦根大水、定尺より5尺2寸高く、四十九町も船で往来し、尾末町・東町で7寸浸水
彦根市史稿
寛保3年5月
1743年
大水.彦根常水より5尺2寸増
後三條今昔ものがたり
宝暦元年7月11日
1751年 8月31日
出水.芹川6合余水
後三條今昔ものがたり
宝暦5年8月
1755年
大風雨.芹川1升水
後三條今昔ものがたり
宝暦6年9月16〜17日
1756年10月9〜10日
芹川堤防2箇所決壊し、新町あたり水2階に至る.彦根領内で49,000石の損失、農民に3ヶ年間半納を許す.
芹川氾濫・南堤防60間決壊
彦根市史稿
後三條今昔ものがたり
宝暦14年8月(明和元年)
1764年
大水.芹川6合水
後三條今昔ものがたり
明和2年8月2日
1765年9月16日
大風雨.芹川7合水・彦根損害5万石余
後三條今昔ものがたり
明和5年7月21日
1768年9月1日
大風雨.彦根の浸水4尺8寸.領内にて64,000石損耗をみる.
彦根市史稿
明和8年7月22日
1771年9月1日
夜大風雨.芹川5合余水増す.
彦根市史稿
明和9年8月(安永元年)
1772年
大風雨続く.8月2日水3尺8寸・8月15日芹川4合水・8月21日芹川4合水
後三條今昔ものがたり
安永2年6月3日
1773年7月22日
大風雨.芹川5合水
後三條今昔ものがたり
安永2年7月10日
1773年8月27日
風雨.芹川7合水
後三條今昔ものがたり
安永4年8月14日
1775年9月8日
大風雨.芹川7合水
後三條今昔ものがたり
安永5年8月21日
1776年10月3日
大水.芹川5合水
後三條今昔ものがたり
安永7年7月2〜26日
1778年7月25日〜8月18日
大雨洪水に付き、堤防上手猿尾石垣崩
彦根市史稿
天明2年8月9日
1782年9月15日
風雨.芹川5合水
後三條今昔ものがたり
天明6年7月
1786年
大水.水3尺8寸増
後三條今昔ものがたり
天明6年8月
1786年
大風雨.芹川8合水
後三條今昔ものがたり
寛政3年8月21日
1791年
大風雨.侍屋敷51軒、足軽町・扶持人共270軒、番所3箇所、堂・宮拝殿・寺69箇所、釣鐘堂8箇所、町屋25軒、百姓家286軒、百姓小屋844軒等の家屋倒壊・半倒壊の被害有り。死者9人、負傷者6人。
彦根城の修築とその歴史
寛政10年8月
1798年
大水.水4尺増・植付け時旱魃
後三條今昔ものがたり
享和2年6月29日
1802年7月28日
卯の刻より大風雨、所々洪水.善利川(芹川)堤防切れ、亥の刻大石橋崩れ落つ.溺死人多く、切通し番所流れ、新町辺所々壊家有り.
芹川1升1合半・芹川石橋落下死者23名
彦根市史稿
後三條今昔ものがたり
享和2年8月
1802年7月28日
風雨洪水
後三條今昔ものがたり
文化4年5〜6月
1807年
大出水.水6尺1寸増(70年来の洪水)←1737年元文2年の大雨のこと
後三條今昔ものがたり
文化13年8月
1816年
大水.芹川9号5勺
後三條今昔ものがたり
文政12年7月
1829年
大風雨洪水.芹川一升余りの水
後三條今昔ものがたり
文政12年8月
1829年
大風雨.芹川6・7合水
後三條今昔ものがたり
天保7年8月13日
1836年9月23日
7月7日、8日大雨.それより降り続き、8月13日暴風雨あり、水田の被害多く、彦根にては四十九町・内船町・石ヶ崎町・中薮等浸水し、弘道館勝手口の柵門通30日ばかり浸水す.
彦根市史稿
天保8年8月14日
1837年9月13日
大風雨.芹川満水8合7勺
彦根市史稿
嘉永元年8月12日
1848年9月9日
芹川南切れ、大藪村まで白川になる.
愛知郡誌
万延元年5月
1860年
大洪水.城下大洪水・四十九町大手橋まで舟
後三條今昔ものがたり
慶応4年5月
1868年
洪水.37日間の長しけ・万延元年より2尺6寸水高
後三條今昔ものがたり
明治3年9月18日
1870年10月12日
17日・18日の両日にわたり暴風雨襲来、浸水・堤防決壊等の被害あり.大橋・岡・沼波・芹中・橋向・後三条・中薮等芹川沿岸に甚し.高宮町倒壊家屋137戸、溺死32人、農作物の被害多し.時の人これを「米宗風」と称す.
彦根市史稿
彦根百年譜稿

明治18年6月

1885年
暴風雨.芹川決潰・明尊寺仏像経巻流失
後三條今昔ものがたり
1896年9月7日〜11日
7日9時芹川満水.6時橋落つ.晒屋下にて50間斗堤決潰候.
彦根城下の大半は湖面水量の増加に浸水し、一方芹川の堤防決壊して、東南各町を害し市街は舟を浮かべて航行し、人は2階の窓から出入りした
彦根市史稿

大正10年9月15日

1921年9月15日
千本村大堀、久徳村で芹川の堤防決壊
気象台、県、警察記録
昭和19年11月
1944年
大水.後三條橋流失
後三條今昔ものがたり
昭和20年6月
1945年
大水.新町裏堤防破損
後三條今昔ものがたり
昭和26年7月
1951年
豪雨.松原干拓田全滅・旧市内100戸浸水
後三條今昔ものがたり
1953年9月25日
(台風13号)
大堀橋上流左岸で木流し工するも決壊.
芹橋14丁目北岸で土のう積.
恵比須橋、中芹橋、東沼波橋で危険水位のため通行止.
上芹橋上流右岸で木流し工.
芹川決壊により大橋町(仏具店街)を中心に1mの床上浸水.
池州橋付近で越水し、市内冠水.
後三条橋流失・恵比寿橋流失・中薮橋落下・芹川井堰流失
多賀町中川原他1箇所で堤防決壊.
気象台、県、警察記録
後三條今昔ものがたり
昭和33年8月25日
1958年8月25日
池州橋南詰土のう積.後三条川損壊
気象台、県、警察記録
1959年8月12〜14日
(台風7号)
大橋町、芹橋八丁目〜橋本町右岸で土のう積.
池州橋付近で土のう積.
恵比須橋付近左岸で土のう積.
後三条橋一部流失・恵比寿橋一部流失・芹橋欄干一部損傷
気象台、県、警察記録
消防本部災害記録
後三條今昔ものがたり
1959年9月26日
(台風15号)
芹橋冠水.
池州橋右岸堤防溢水.
橋本町〜池州橋右岸住民に避難命令.
6丁目付近で右岸堤防崩壊.
恵比須橋流失.
後三条橋流失.
芹川支流、および本流で被害が大きく、上流の山間部では河川に並行した道路は殆どずたずたに切断された.
彦根市、多賀町他15市町村に災害救助法が発令された.
気象台、県、警察記録
消防本部災害記録
1965年9月17〜18日
(台風24号)
芹川流域住民に避難命令.芹川白山神社付近で溢水.
国道8号旭橋上流左岸で堤防法面20m崩壊.
後三条橋下流左岸で堤防法面10m崩壊.
後三条橋の橋脚流失.
芹橋、池州橋で土のう積.通行止.
芹川右岸八丁目〜池州橋間通行止.
多賀町月の木で堤防決壊.
気象台、県、警察記録
消防本部災害記録
昭和46年8月3日
1971年8月31日
(台風23号)
恵比須橋左岸上流で木流し工.
多賀町中川原の銭取橋流失、一円の高橋が橋脚流失.
多賀醒ヶ井線の河川に並行した箇所で冠水と各所で欠損.
気象台、県、警察記録
消防本部災害記録
1972年9月16日
(台風20号)
池州橋で土のう積.
多賀醒ヶ井線の河川に並行した各地で冠水.
同上
昭和50年8月23日
1975年8月23日
(台風6号)
旭橋右岸下流で木流し工.決壊.
同上
消防本部災害記録
1976年9月11〜13日
(台風19号)
西沼波橋上流左岸で堤防法面70m崩壊.
消防本部災害記録
昭和54年9月30日
1979年9月30日
(台風16号)
国道8号旭橋上流150m右岸で堤防法面崩壊.
消防本部災害記録
昭和60年6月25日
1985年6月25日
(台風13号)
恵比寿橋で警戒水位(2.3m)を超え、2.5mに達する.
気象台、県、警察記録
平成2年9月19日
1990年9月19日
(台風19号)
山間部の河川に並行した多賀醒ヶ井線が各地で冠水.
多賀町栗栖で堤防溢水、護岸欠損.
野田山町早川や外町、古沢町等の各所で浸水被害
同上
消防本部災害記録
平成7年5月12日
1995年5月12日
(集中豪雨)
池洲橋にて河川水位5.0m
消防本部災害記録
平成9年7月26日
1997年7月26日
(台風9号)
池洲橋にて河川水位4.9m
消防本部災害記録
平成14年7月9日
2002年7月9日
(台風6号)
中川原で河川水位1.24m(通報水位1.10m、警戒水位1.80m)
消防本部災害記録

 

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■写真で見る芹川の洪水の歴史
昭和28年 台風13号    
 昭和28年台風13号被害写真 右向き矢印    現在の池州橋の写真
 昭和28年9月の台風13号:池州橋の欄干の半分の高さまで増水した痕跡(青線)が見て取れる。手前には、水防活動による積み土のうの痕跡がある。これを越える洪水であったため、両岸の家屋密集地は広範囲にわたって床上・床下浸水等の大災害を被った。    現在の池州橋の様子:橋は新しく架け替えられ、護岸整備も行われたが、川幅や橋の高さは以前とほぼ同じ。
 昭和28年のような洪水になれば、左の写真と同じような洪水被害を受ける可能性がある。
     
位置図
洪水被害の様子    
   
昭和28年台風13号被害の写真昭和28年台風13号被害の写真
昭和28年台風13号被害の写真
昭和28年台風13号被害の写真
池州橋北詰めの被害状況:堤防から溢れ出した洪水は、道路面の土砂を削り取って池州町方面に相当な勢いで流れ込んだ様子が窺える。
   

■芹川が付替えられた歴史

芹川の付替えと後三条村 《後三條今昔ものがたり》薗田昭三氏平成5年11月発行より引用
 築城や城郭の工事とともに芹川を付替え、家臣の居住区割りや町民居住区の町割が行われました。石田三成以前の芹川の本流は、猿尾付近から上川原町・久佐の辻を通り、川原町裏で中央公園の方へ曲がり護国神社前の堀に流れ込んでいました。久佐の辻には芹川大橋が架かっていたと言われています。此の流れを猿尾から西の方へ直流させて琵琶湖に注ぐようにしました。また、長久寺山の北側は大部分切りか欠かれてその土で堤を作りました。最初の計画ではもう少し南の方へ寄るはずでしたが長久寺山の岩盤が堅いため恵比寿橋の東で少し曲がった現在の川筋になりました。計画からはずれた土地は余所と呼ばれ、現在の後三条の小字名として残っています。
 〜中略〜

 この芹川堤は水害を町方に及ぼさないように北側を高く堅固に築き、南側の後三条村の方は低く築きました。このために大水の時は南側の堤から溢れ、家屋や農作物に大きな被害を受けることが幾度もありました。
 〜中略〜

三島由紀夫は小説”絹と明察”の一節に芹川の情景を次のように書いています。
 
「彦根の町の南を流れる芹川は、築城のため川筋をまっすぐに、あたかも運河のように規矩正しく直され、多数の百姓・町人に赤土を運ばせ踏み固めさせてできた美しい堤には欅並木がつづいている。殊に青葉時の西日に欅の枝々がこまかく透かす夕影の美しさは比べるものがない。」

 
このように書かれている美しい芹川堤も築城当時に後三条村が被った大きな犠牲によって完成したことや、先住者の苦哀を私達住民は今一度思い出してみようではありませんか。

芹川の付替えによって後三条村の旧領域は芹川の北側が町方となり、河原町・橋本町・袋町などに町割をされ、芹橋一丁目から八丁目迄を足軽組屋敷として元和3年(1617年)善利組八組が設置されました。その後、この組屋敷は池州町通りまで拡大しました。
 また、芹川の南側の一部も町方として橋向町や後三条町(新町)に町割りされました。新町は明暦3年(1657年)に町並みが出来たそうです。これらの新しく出来た町並みは、川原町手組として町奉行の支配するところとなり、後三条村は村方として筋奉行の支配下に属することとなりました。

旧と新の芹川の流れ

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■集中豪雨に芹川はどのくらいまでたらえれるか?

■芹川では万一に備えた治水対策が必要です

■芹谷ダムに関して

  ※詳細は情報はこちら→
平成20年11月14日 滋賀県庁知事公室にて獅山市長が「公開質問状」を手渡した。

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 〒522-8501
 彦根市元町4-2
 彦根市道路河川課河川係
 TEL 0749-22-1411(代表)内線231,239
 TEL 0749-30-6122(直通)
 FAX 0749-24-5211




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